恐怖と愛情と失望と

小説

2つの短い小説を載せます。家庭環境で苦しむ未成年の話です。

 麗奈は何かの音で目を覚ました。

(何だろう? あの声はお父さんかな? でも、なんだか怖い………)

 麗奈は小学6年生だ。今はまだ一学期で、6年生の麗奈は未だに怖がりで妹のベッドで一緒に妹と寝ていた。

 隣の2歳年下の妹は全く気がつかないのかぐっすりと眠っている。そもそも、この妹はいつも寝つきも早く、ベッドに入ってからなかなか眠ることができない麗奈とは違っていた。しかも一度眠るとゆすって起こさないと起きることもほぼない。

「このー、お前たちのせいだ!」

「椅子を持ち上げないでよ」

(加奈姉ちゃんの部屋からだ。椅子を持ち上げるってどういうこと? お父さんが⁉)

「いいから、2人は下がっていていいの」

(お母さんも一緒なの?)

 麗奈の心拍数はどんどん上がっていった。緊張で身体が強張っている。

(大きな物音がしない。椅子をまだ投げていないんだ)

「お父さん! お願いだから落ち着いて!!」

(これは、真奈お姉ちゃんの声だ)

「俺は落ち着いている。興奮しているのはお前の方だ」

「それなら、椅子を下ろして」

 微かに椅子を下したコトッという音が麗奈の耳に聞こえてきた。麗奈はひたすら息を殺して耳を傾けている。

「とにかくそこをどけ。お母さんと話すだけだ」

 その父親の言葉に、母親の頼子と姉の加奈の返答の声は聞こえてこない。

(わ、私も出ていこう。お母さんをお姉ちゃんと一緒に守らないと。私は何も知らない感じで寝ぼけていけば、お父さんはやめるかもしれない)

 

 母親と父親の離婚の話があることを、麗奈は知っていた。そんな母親に対して父親は、猛烈に拒否を示した。

 麗奈は4人姉妹の3番目だった。高校2年生の姉と中学3年生の姉と小学4年生の妹がいた。姉妹の仲は、時々喧嘩もするが、それなりに良い方だった。

 離婚の話は、小学生の麗奈と恵奈には教えていないはずだった。だが、長女である真奈が全部麗奈に話していた。真奈は5歳年の離れている麗奈に、昔から何でもよく話すところがあった。そして、今回も離婚のことを麗奈に話していたのだ。

 ある朝、麗奈が起きてみると、母親のあごのところに大きなあざがあることがあった。麗奈が心配して訊ねると、転んだと母親の頼子は答えた。しかし、真奈が真実を麗奈にそのあとに伝えた。

「あのあざはね、お父さんがお母さんの首を絞めたときにお母さんがもがいたの。そのときにできたものなんだよ」

 麗奈は母親が言う様に、転んだことを信じていた。だから、これを聞いたときはショックだった。

 また、ある朝は、1階の部屋で母親が1人で泣いているところを見たこともある。辺りには割れたお皿がたくさんあった。

「ごめんね。何でもないの。お母さんヘマしちゃって」

 母親は麗奈に気がつくとそう取り繕ったが、このときは麗奈は既に知っていた。

 

 実は、1年ほど前に、母親に離婚したい気持ちがあることを麗奈は母親の口から聞いていた。そのときは長女の真奈や次女の加奈も一緒だった。麗奈はそんなことがあるとは全く思いもしなかったので、かなりの衝撃だった。一通り話をきくと、その場を離れ、1人で泣いた。

「世の中は何があるのか分からない………」

 友達で両親が離婚をしている家はあった。でも、自分の家にそういうことがあるとは、全く繋がっていなかった。それ故に衝撃だったのだ。

 小学5年生の麗奈には話していたことだったが、いざ本当に離婚が進みだすと、麗奈に知らせないようにしていたことに対しても、麗奈はまるで変に思うこともなかった。

「お母さんが小学生の2人には辛いから、知らせないでおこうって言っていた」

 長女の真奈のこの言葉をそのままに信じた。妹の恵奈は何も知らない。お皿が割れていたことも知らない。

 

(次、お父さんが大きな声を出したら出ていこう)

 麗奈はそう思った。

「もう、いい加減子どもは寝るんだ」

 父親はさっそく大きな声を張り上げた。

(今だ!)

 ところが、どうしたことか、体の自由が利かない。全く体が動かないのだった。自分でも気がつかないうちに体は小刻みに震えてもいた。

(どうしよう。体が動かない………みんなを守りたいのに)

「なんだとー!」

 父親が更に興奮した声が聞こえた。

(行かなきゃ、行かなきゃ。せーの、せーの………何で、動いてくれないの)

 麗奈は必死だったが、体はいうことをきいてはくれなかった。

 麗奈が必死になっているうちに、騒動は収まったらしかった。それに気がつくと、麗奈はやっと体が動く。

 麗奈は、ベッドを抜け出して、そっと部屋の扉を開けてみた。すぐ近くには母親の頼子と姉の2人がいた。だが、父親の姿は既になかった。

「麗奈、起きていたの?」

 母親が少し心配するように言った。

「うん。全部聞いていた」

「そっか。起こしちゃってごめんね」

 母親の言葉に麗奈は軽く首を横に振る。

「起きていたなら、来てくれればよかったのに」

 不満げに次女の加奈が言った。

「ごめんなさい。行こうと思ったんだけど………」

 加奈はそのまま不満げに麗奈を見た。

(ごめんなさい。私の体が動いていたら良かったのに………)

 その日は、次女の加奈が下の部屋で母親と眠ることになった。麗奈は促されて自分のベッドに戻る。母親と加奈は下の階に移動した。だが、そこには長女の真奈がまだいた。

「お母さんね、お父さんに求められるのが嫌で、拒否したんだよ。昨日の晩もそうで、それでお父さんが今夜怒ったの。ときどきは答えていたみたいだけど、かなり苦痛だったみたい。今夜は加奈がお母さんを守る為に一緒に寝るから、麗奈ももう寝な」

「うん………分かった」

 麗奈の枕の下には少し前からハサミが置いてあった。いざというときの為に、母親や皆を父親から守る為だった。真奈や加奈も同じようにしていた。

 でも、麗奈は普段通りのときの父親の背中を見て、この背中を刺すかもしれないと思ったら、悲しくて悲しくて、いたたまれなくなった。

(でも、今度こそみんなを守れるようにならないと………私がお母さんもお姉ちゃんたちも守りたい。でも、お願いだからお父さん、怖くならないで………)

 麗奈は、しばらくは眠れなかった。翌日は、学校を休んでもいいと言われて休んだ。妹の恵奈には体調が悪いということにした。2人の姉は学校へ行った。

夜はほとんど眠ることができなかったが、父親が仕事に行っている昼間は、眠ることができた。

2つ目です。

 俺は、心底がっかりしていた。自分の母親にだ。

 俺は3人兄弟の真ん中で、女に挟まれている。数年前に親は離婚をし、母親に引き取られた。父親は離婚を嫌がって暴れたりもしたが、母親は逃げずに俺らを守った。

 俺はまだそのときは今より小さかったが、感謝をしていた。世の中にはそういう状況で子どもを捨てて逃げていくような親がいるからだ。でも、俺の母親はそうはしなかった。俺ら兄弟を全員引き取った。

 

「母さん、もしかして男いる?」

「何を急に言うの?」

「いや、急に夜帰ってくるの遅いし、なんだか浮かれているし」

 どちらかと言うと、浮かれているから怪しく感じた。

「実はね、そうなの。あちらから声をかけてくれたのだけどね。ほら、裕也が電話とったのよ。お母さんが通っている院の教授」

 俺の母親は、勉強が好きみたいだ。それで、資格の為にも、大学院へ通いだしている。大学自体は結婚前に卒業していた。そこの教授からの電話を確かに俺はとって、母親につないだことを覚えていた。

「あれ⁉ てか、大学の教授なの?」

「うん。そうなの」

 母親は、頬でも赤くしそうな雰囲気で、嬉しそうに微笑む。

「ふーん、いい人なの?」

「ええ。とってもね」

「じゃあ、いいんじゃないの」

 離婚した当初は、母親にそういう相手ができたらもっと不快だったと思う。でも、母親の幸せそうな顔を見たら、反対する気持ちにすらならない。それに、夜遅く帰ってくるときも、予め俺らの食事を用意していっていたし。

「でも、栞は知っているの?」 

 栞は俺の4つ離れた姉で、現在大学1年生だ。

「ええ。ついこの前に話したわ」

「ふーん。でも、環奈には言うのやめておいて。まだ受け入れるの難しいかもだから」

「そうするつもり」

 俺たちは、数か月前に今のところに引っ越しをしてきた。妹の環奈と俺は、学校を転校することになった。俺は問題なかったけど、2つ下の環奈は人間関係がうまくいっていない。毎日苦しそうにしている。

 しかし、しばらくたったある日、環奈が母親を問い詰めているところへ、俺は帰ってきた。

「お母さん、だって、明らかに様子が違ったから。だから、全部ノートにつけていた」

「そうなのね。環奈にも話した方が良かったわね」

「違うよ。お母さんが変わったのがきつい」

「そうよね………でも、お母さんだって幸せになりたいの」

 その母親の言葉を聞くと、俺の中には少し苛立ちがわいてでてきてしまった。

「話が違うだろ。環奈にはまだやめるって約束だ。環奈にはやめろ」

 母親も環奈も、きっと俺も感情が高ぶっている。二人は今にも泣きだしそうな顔をしていて、それを見ると胸がきしんだ。

「母さんの気持ちもわかる。幸せになればいい。環奈が、気がついていたから仕方がない。俺、変なこと言ったかもしれない。でも、もう少し冷静になってほしい」

 自分も冷静にならなければと、言い聞かせる。

「ごめん。とりあえずご飯の支度をすませるわ」

 母親はそう言うと、作りかけの食事の支度を再開させた。環奈は自分の部屋にすぐに閉じこもった。

 分かっている。別に俺は母親に彼氏ができても構わない。でも、心底がっかりした自分がそこにはいた。

 次の日、姉の栞と2人きりのときがあり、前日のことを話してみた。

「ああ、そうなるだろうと思ったよ。お母さんね、お父さんしか付き合ったことないんだって。それで離婚になったから、それを壊したいって言っていた。つまり、他の男とも経験してみたいってね。まあ、仕方がないね。環奈は可哀想だけど、私たちで環奈を支えよう」

 そんなことを言ってはいても、栞もいつも自分のことだけでいっぱいだ。俺だって環奈をどこまで支えられるかわからない。兄弟と親とじゃ違うってことくらい分かる。

にしても、他の男とも経験したいって、普通自分の子どもに話すか? いくら大学生だっていっても………。

母親は数年間、その相手と付き合った。何度か家にも来たけど、落ち着いた良い人だった。姉の栞は失恋をし、そのときに母親が浮かれていたことが耐えられなくなり、母親との間に溝ができていた。

環奈は、相変わらず人間関係があまりうまくいっていなかった。俺には話をきいてやることくらいしかできなかった。

そして、俺が高校2年生になったばかりのときに、母親はその相手と再婚した。結婚式には、環奈と俺は参列したが、姉の栞は出席しなかった。でも、結婚のお祝いに俺ら3人から母親の好きな花の花束をプレゼントしたものには参加した。

花束を受け取ると、母親は涙を流して感動をしていた。

「母さん、俺、あの人のこと『お父さん』って呼ぼうかな」

「本当に! ありがとう。彼もきっと喜ぶわ」

 母親の喜ぶ顔が見たかった。母親にも幸せになってほしかった。

 結婚をしたあと、どうやって暮らすのかまだ知らされていなかった。でもその後、俺らとは一緒に暮らさないことが分かった。

 割と近くではあったが、マンションを借りて2人で暮らすと言うことだった。俺らもそのときは、別のマンションに暮らしていた。そこでは手狭だという理由だった。

 母親が別々に暮らし始めたが、母親はしょっちゅう家に来て晩御飯を作っていった。でも、俺の弁当は買うことになった。お金だけは十分足りるくらいにおいていってもらっていた。

 だけど、環奈の様子が日増しにおかしくなっていった。環奈は今年受験生だ。それなのに、親は家を出ていって、別の男と暮らしている。晩御飯を作りにきているのは、せめてもの罪滅ぼしなのか?

 そう考えると、なんだか晩御飯を作りにくる母親が疎ましくなった。晩御飯を作るよりも環奈のことをもっと気にかけてやってほしかった。

「栞、もうじき環奈の誕生日だ。ちょっと高いけど、前から欲しがっていたやつ買ってあげようかと思う。栞も一緒にどうだ?」

「そうだね。一緒に買いに行こうか」

 俺と栞は、環奈の気持ちが少しでも前を向けばいいと思って、環奈が欲しがっていたものを、環奈の誕生日当日にプレゼントした。お祝いには母親の姿はない。

「ありがとう」

 環奈は欲しがっていたものが手に入ったはずなのに、あまり嬉しそうじゃなかった。心が蝕まれているのではないかと不安だった。

「環奈、もしかして、母さんと暮らしたいのか? どうだ?」

 環奈は何も答えない。

 そもそも、環奈は末っ子だったこともあって、昔から母親にべったりと甘えていた。わがままもいっていたが、離婚を期に急に物分かりがよくなった。それすらも、かなり無理をしていたのかもしれない。

「環奈、本当の気持ちを言ってもいいんだよ」

 栞も俺に加勢するように環奈に優しく言う。でも、環奈は口を開かない。

「環奈の本当の気持ちを聞きたいんだ。もし、母さんと暮らしたいなら、俺から頼んでやるよ」

 環奈は涙目になってきた。そして、頷く。

「やっぱりお母さんと暮らしたいんだね」

「でも、お母さんは出ていっちゃったから、きっと駄目だよ」

 環奈は泣き叫ぶようにしてそう言った。

「環奈、駄目だなんてない。環奈は受験生なんだし。母さんはここが手狭だから別のところに暮らしているだけだ。あっちの家は3つ部屋がある。一つは狭いけど、環奈だって一緒に暮らせるよ」

「そうかな………」

 環奈は涙声だ。

 中学生活、環奈はずっと人間関係がうまくいってなくて、いわゆるボッチだった。本当はしっかりした支えが必要だ。俺が頑張ってみたって、俺だってまだガキだ。

 さっそく、その日のうちに俺と栞は母親の元へ話をしにいった。

 母親の家に行ってみると、義理の父親は不在だった。

「母さん、話がある」

「どうしたの? あらたまって」

 俺と栞と母親は、とりあえず座った。

「環奈もここで暮らすことできないかな? 環奈は受験生だし、母さんと一緒に暮らしたいってやっと言ってくれたんだ」

「お母さん、お願い。環奈はまだ義務教育だよ。学校もきついみたいだし、私たちだけじゃどうにもできないよ」

 母親は困った顔をした。

「どうして何も答えてくれないんだ?」

 俺は少し苛立つきと不安を交えてそう言った。

「佐藤にも相談しないといけないし、今はっきり答えられないの」

 母親の再婚相手は佐藤と言った。

「佐藤さんは駄目だって言いそうなの?」

 栞も少し苛立っている。

「母さんは環奈の母親だろ? おとうさんに話すのは分かるけど、話を絶対に通そうとは思わないのか?」

 母親はまた少し困った顔をした。

「まだ、ここに暮らし始めたばかりなのよ………」

 そう、新しいおとうさんとだ。2人の新婚生活だ………。

「もう、いいや。分かったよ」

 俺はそう言うと、立ち上がった。栞も俺に続く。

 母さんの2人だけの新婚生活は、確かにまだ3ヵ月にも満たない。母さんだって女だ。自分の母親を女だなんて思いたくないけど、やっぱり男がいいわけだ。

 翌日、栞と話をした。

「お母さんは、お父さんと離婚をしたのは私たちのためではないかもよ? お父さんがお母さんがいないところで、私たちに暴力を振るっていたことを知って、私たちを守るためだってあんた思っているでしょ」

 俺の中のどこかが、悲鳴を上げ始めているような気がした。

「お母さんは、暴力のことを知っても、お父さんがお母さんの好きなものを買ってあげたら、一度は離婚をやめたの。それで、ヨーロッパ旅行へも行ったけど、その旅行はお母さん的には楽しくなかったみたい。何だかは知らないけど、だんだんお父さんのことが気持ち悪くなっていったみたいで、お父さんとの離婚に踏み切ったって言っていたよ」

「それって、どういうことだ? それじゃあ、何で俺たちを引き取った?」

「たぶん世間体だと思う。おばあちゃんとかの目もあったかな」

 俺の中の悲鳴は大きくなっているはずだけど、感覚が麻痺しているのかそれが遠いところで聞こえる。

「おばあちゃんには、環奈が高校を卒業するまでは、再婚はするのをやめなさいって言われていたの。でも、お母さんは『私の人生は私のものよ』って叫ぶように言っていた。あれはちょっと私もきつかった」

 そんなこと俺は初めて知った。感覚がどんどん鈍くなる気がする。今、俺はどこにいるのだろう? 

「ちょっと、裕也、きいている?」

「あ、うん。聞いている。そうなんだな。それじゃあ、やっぱり環奈が一緒に暮らすのは無理なのかもしれない」

「でも、佐藤さんにも直接話してみよう」

 後日、俺と栞は佐藤さんにも話をしてみた。佐藤さんは快く了解してくれて、環奈は母親と暮らすことになった。

 でも、こっちの家には母親は晩御飯も作りにこなくなった。その代わり、いつでも食べにきていいと言われていて、栞と母親の元へ食事をしに行くときもある。

環奈の顔はずっと沈んだままだ。

 母親と佐藤さんが夫婦の営みをしているところを、環奈がわざとその部屋の扉を大きく開けたこともあったと言う。これは、母親の不満として直接母親から聞いた。俺はただ聞くだけしかできなかった。

 そんな状況で扉を開ける環奈も環奈だけど、(そもそも見たくもない)逆にそこまで精神が参っているのかもしれないと心配になる。環奈が高校にちゃんと入れて、高校生活はせめて友達に恵まれたらいいと切実に俺は願うばかりだ。

 だけど、いつの間にか環奈は俺が母親に家に行くことを嫌がるようになっていった。だから、俺はできるだけ行かない。それでも、環奈と違って俺は学校では問題なく過ごせている。

 

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