「最近、誰かの視線を感じる気がする…………」
「視線? 何それ、怖い! もしかして幽霊とかでもついているってこと⁉」
大学に今年の4月に入学をしてから仲良くなった亜沙美はホラーに心霊写真、怖い話が大好きだ。
「違う違う。そういう怖さはないもん」
私は即座に亜沙美の言ったことを否定した。
亜沙美は学食で買った夏野菜カレーを頬張りながら首を傾げる。それじゃあ、いったい何なの? と言っているように見えた。
「だーかーら、もちろん生きている人だよ。ちゃんと生きてる人の視線だって」
不安な気持ちを吐き出したくて言ったはずなのに、亜沙美の様子でそれが薄れつつあった。
亜沙美は、何て言うか————背が小さくてかわいい顔をしているけど、少しコミカルな感じがある。小動物が転んだりとかの面白い行動をしている動画がよくあるけど、そんな感じの雰囲気だ。
「そうなの? でも、そっちの方が怖いかもね。かなりヤバイじゃん!」
「うん。やっぱり亜沙美も生きているヤバイ人の方が怖いんだね」
「そりゃあ、そうだよ。幽霊は非現実的だから、逆に安心じゃん」
「いやいや、安心っていうのとは違うけどね」
私は軽く息を吐きだす。亜沙美の方を見ると、まるでハムスターの様に頬を膨らませている。緊張感ってものがまるでない。私は思わず笑ってしまった。
「何? 何? シリアスな話だったんじゃないの? どうして急に笑うの?」
こんな感じのボケも面白くて一緒にいて飽きない。
「まあ、いいや。きっと気のせいだよ。考えるのも馬鹿らしく思えてきちゃった。それより、私、次の授業に遅れちゃうから行くね。亜沙美は次は空きでしょ。また明日ね」
私は、亜沙美と別れて食堂を後にした。次の講義に向かうためだ。
私は今年の春から上京してきて独り暮らしをしている。だから、ちょっとしたことで怖くなっただけなのかもしれない。
今朝、ゴミが荒らされていると大家さんが言っていた。時間が無くてあまり話せなかったけど、内容を聞くと、私が捨てたものによく似ていた。でも、他にも同じアパートの女の人は暮らしているから、私だと断定するのはまだ早い。だって、同世代の同性同士ならきっと普段使う者も似ていて———だから必然的に捨てるものも似てくるはずだから———。
最近、駅から駐輪場までの間誰かの気配や視線を感じるけど、何人か人がいる場所だから、きっとそれも気のせいのはず。
うん、きっと気のせい。いつの間にか物が無くなっているのも、きっとどこかに片付けたのを忘れていたり、落としていたりするんだ。
そもそも、私が帰る時間はまちまちだ。バイトに行ったり、友達と遊んだりしてから帰るから。でも、今日は早く帰ろうかな? バイトもないし、早く帰って戸締りをきっちりしよう。
「わあ!」
私は、自分の携帯の着信音で思わず声を上げてしまった。窓にかかっているカーテンの隙間から外を覗いていたときに急に鳴ったからだった。
「亜沙美? どうしたの?」
電話をかけてきたのは、亜沙美だった。
『咲菜こそどうしたの? 何だか様子が変だよ? 私は、次の英語の授業の課題の提出がいつだったか忘れたから聞こうと思ったの。明日だったらやばいって思って』
「違うの———今日も誰かが駅からついてきている気がしたの————しかも、私の自転車が無くなっていたから、歩いて帰るしかなかった———」
私は少し涙声になりながら亜沙美に話した。
『そうなんだ———確かにそれは怖いね』
珍しく亜沙美までシリアスな感じになっていて、私の緊張感も高まる。
「怖いなんてもんじゃないよ。どうしよう」
「じゃあ、私が今から行って泊まってあげるよ」
「何言っているの? そんなことしたら亜沙美がうちに入るとき危ないかもしれないじゃない」
「うーん、タクシーで行くからきっと大丈夫」
「でも、親が心配するよ」
亜沙美の家は実は結構なお金持ちで、お小遣いもかなりもらっているらしい。
「大丈夫だよ。あ、そうだ。慎吾に車で送って一緒に行ってもらう」
慎吾は亜沙美の高校から付き合っている二つ年上の彼氏だ。
「だって、慎吾もうちに泊まるの?」
「ううん、慎吾はもちろん帰ってもらうよ」
「いいの? そんなんで?」
「大丈夫だよ。だから、もう少し待っていてね」
亜沙美はそう言うと、電話を切った。私はどうしていいのか分からない。誰かが一緒にいてくれたら————亜沙美といると気持ちも軽くなるだろうし、絶対に助かるけど、そんなことをしていいのかな?
グルグルと頭の中でいろんな考えが回っていく。でも、どうしても一人が怖くて、私は亜沙美に断りの電話をすることができなかった。
そうして、しばらくすると亜沙美は本当にやってきた。彼氏の慎吾は玄関まで亜沙美を送ると行ってしまった。
「あ、やっぱりこのフィギュアいいなあ~」
「そうでしょ。一番のお気に入りだから」
亜沙美は私の部屋に飾ってあるアニメキャラのフィギュアを見て言った。私が前からずっと好きだった男主人公ので、私も凄く気に入っている。正直、生身の男に興味はない。キイラ君が私の想い人だ。私の影響を受けて亜沙美も今では同じ様に好きになっている。もっとも、亜沙美は彼氏がいるけれど。
「それにしても、慎吾君は本当に優しいね。でも、こんな状況に亜沙美を置いていくことを心配していなかったの?」
私は、小学生の頃に何人かの男の子にいじめられていたことがある。だから本当にその辺の男は苦手だ。でも、亜沙美の彼氏は良い人だと思う。
「言ってないもん。それに、慎吾は私と付き合っていられるなら何でもしてくれるからね」
こんな顔して魔性の女だ。せっかく来てくれた優しい友達に対して、そんな風に私は少し思ってしまった。
「ありがとう。迷惑をかけて本当にごめんね」
「いいの。友達だもん。もっと頼ってよ」
亜沙美は本当に友達思いだ。キイラ君も同じ様に友達思いだ。
「ありがとう」
「けど、さっき少し慎吾に辺りを見てもらったけど、大丈夫そうだったよ。やっぱり気のせいもしれないし、もしかしたら今夜は大丈夫なのかもね?」
「う…ん」
気のせいなんかじゃないんだけどな———。
「よし、じゃあ私がもう一度見てきてあげるよ。私、歯ブラシ忘れちゃったみたいだし、ついでにコンビニで買ってくるね」
亜沙美はそう言いながら、玄関へ向かった。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。もう夜も遅いし、歯ブラシくらい———」
替えは昨日使ったばかりだった。だから、今度また買っておこうと思ったばかりだった。
「大丈夫だよ。コンビニなんてそんなに遠くないじゃない」
亜沙美は無邪気な笑顔を向けて、私が静止するのも無視して外に出た。でも、歯磨きできないで寝るのは確かに苦しいのは分かる———私は、亜沙美の後を追って外へ出るしかなかった。
私はビクつきながら夜道を歩いたけど、何事もなくコンビニについて、亜沙美は歯ブラシを買った。
「ほらね、なんともないじゃん! 一人で歩いているわけでもないし、大丈夫だよ」
少しも怖がっていない亜沙美を見ていると、少し自分がバカらしく感じてきた。
「でも、そんなに大丈夫だって思っていたのに、慎吾に送ってもらってきたでしょ?」
「だって、咲菜がそうでないと安心しないと思ったからだよ~。咲菜はすごく怖がっていたから、一緒にいてあげたいじゃん」
「亜沙美がこんなに頼りになるなんてね」
「そうよ。もっと普段から頼って頼って」
弾むような明るい声が夜道に響いている。その明るさで、さっきよりも道が明るく見えるみたいだった。
「ほら、あの角を曲がったらもう家だよ」
「うん」
私たちは角を曲がる。と、そこには黒い服を着て、この暑いのにフードを目深に被った男が立っていた。
「キャー、誰かー」
男に腕を掴まれて、私はとっさに叫び声が出た。
亜沙美が、男に向かってコンビニで買ってきたものをぶつけているのが視界に入ってきた。男は、私を掴んだ手を放すと、亜沙美のことを平手で叩いた。小柄な亜沙美は叩かれた方に倒れた。
「や、やめてー」
私の声は震えている。
「誰かー、助けてー」
やっぱり私の声は震えていて、普段の様に声が出てくれない。亜沙美は道路に倒れたけど、体を起こそうとしていた。
「どうしましたか!」
私の背後で誰かの声が聞こえた。
「今、警察を呼びました。それに、こっちには犬がいるぞ」
私は後ろを振り返った。そこには、大きな犬を連れた中年の男の人がいて、携帯も片手に持っている。
私と亜沙美を襲ってきた男は自分の後ろを振り返って逃げ出した。でも、私の家を越したその先から、車が入ってきて、そこから出てきた人たちに取り押さえられていた。
何が起きているのかはっきりは理解が追い付かない。ただ、まだ緊張で体中が強張っているし、震えが止まらない。それでも、頭で考えた訳でもないけど、私は顔と視線を亜沙美の方へ向けた。
「亜沙美!」
まだ私の声は震えている。亜沙美は上半身を起こしていた。犬が亜沙美の頬を舐めていた。亜沙美はぐったりしたように笑っている。
「亜沙美、大丈夫なの?」
私は亜沙美の目線まで合わせる様にしゃがんだ。
「うん、何とかね」
「君たち、もう大丈夫だよ。今あの男も捕まったからね。警察が早く来てくれてよかった」
犬の散歩をしていた男の人もかがみこんで私たちに優しく声をかけてくれた。
「あ、ありがとうございます」
私は、急に安心したのか涙があふれだしてきた。
そのあと、直ぐに警察の人たちがやってきて、いろいろ事情をきかれた。亜沙美は病院に行った方がいいとか言われたけど、亜沙美が拒絶した。疲れたから、早く休みたいと。
私たちは、私の家に戻って、シャワーを浴びてから眠りについた。私は自分の家が少し怖かったけど、亜沙美が早く眠りたいと言ったからだ。それに、家の中では何もなかったし、犯人らしき男も捕まったのだから。
「亜沙美、巻き込んで本当にごめんね。でも、一緒にいてくれてありがとう」
「ううん。お互いに無事でよかったよ。ね、明日は大学休んじゃおうよ。すごく疲れたから」
「うん。私も疲れた。本当にありがとうね」
「うん。おやすみ」
やっぱり疲れていたのだろう。私は急速に眠りの中へと落ちていった。
まだ続きます。
