神場神社のあとの小田原城

人生行動記

小田原城に着いた。

神場山神社から道が混んでいたせいもあって、2時間以上かかったが、無事着いた。

「どこから入るんだろう?」自分が呟くように言った。

「その前にトイレに行きたい」Iがそう言った。

辺りを見回すと、観光バスの停留所がすぐにあり、そこにトイレもあった。

Iに続いて、Uもトイレへと向かって行った。Aはひたすら携帯を見ている。まあ、Aは最近好きな相手がいて、うまくいきそうだから、その相手とのやりとりに夢中なのだろう。

すごく楽しそうで、少し羨ましくもなる。

IとUが戻ってきたので、小田原城址公園の外回りを少し歩いて、最初の入口へと進む。

正面入り口だ。

最初に馬出門をくぐることになる。これは、復元されたものだ。

「小田原城は、主に戦国大名の北条氏の本拠地だったんだ」Aが言った。

「ね、そうみたいだね」それには、Iが答える。

この先はかなり広々としていた。

次は銅門をくぐる。これは、明治5年に1度解体されてしまっている。復元は平成9年だ。

「今日は、本当に天気が良くて気持ちいい」Uが言った。

「本当だ。今日来られて良かった」

 続いて、昭和46年に再建された常盤木門をくぐる。

 こんな風な場所を、その昔は鎧をつけた武士が行き来していたのだろう。

 小田原城は、戦国時代の関東地方の覇権争いの中心的な舞台だったらしい。

常盤木門をくぐると、いくつかのお店があった。だんごなどを売っているらしい。

手裏剣の体験をできるところがあり、何人かが体験をしていた。

的があり、そこに向かって3つの手裏剣を投げるというものだ。料金は一人200円だった。

「あ、手裏剣やりたい!」

 いつの間にか、UとAはこの広い場所でどこにいるか分からなくなった。それぞれが写真などを撮ったりしていたせいもある。

 今は、Iと自分だけが一緒にいた。

「本当だ。やりたい」

 手裏剣なんて持ったこともない。好奇心が沸く。

 そこで、自分とIは手裏剣を体験することにした。まず最初は、Iからだ。

 Iの1本目は的から外れた。的は、おそらく発泡スチロールで作られた正面の壁に取り付けられていて、Iはその壁に手裏剣を刺した。

「あ、全然当たらない」

 Iは悔しそうにした。

 Iの2本目は、的に当たったが刺さらない。でも、3本目は的に刺さることに成功した。

「凄い、うまいよ」

 係のおじさんがIを褒めた。

 次に自分がやる。しかし、自分は全部刺さることもなかった。

「悔しい! Iに負けた」

 そんな自分に対してIは笑っていた。

 Iは意外に力がある。でも、Iより自分の方が筋トレとかも普段しているはずだから、結構本気で悔しかった。

 その後、UとAも見つけた。Aはやはり携帯をいじっていた。Uは、メルカリで服が売れたから、対応していたらしい。

「U、手裏剣やってみてよ」自分がUに言った。Aには既に断られている。

「えっ? 当たったら、何かもらえるの?」

「いや、何もでない」

「じゃあ、やらない」冷めた対応だ。詰らない奴だ。

「じゃあ、いいや。お城登ろう」

 自分たちは、天守閣に行くことにした。ここは有料となる。料金は、大人は1人500円だ。

 長めの階段を上り、入口へと行く。

 中は、この城に長くいた北条氏の歴史の説明がたくさんあった。武士の鎧や刀も展示されている。

 一番上までくると、外に出ることができ、その眺めはとても綺麗だった。

 何百年も昔、武士たちは高いところからの景色を見て何を思ったのだろうか?

 今とはまるで違う景色だけど、海が見えていたことは同じだろう。

「すごいね、北条氏は武田信玄や上杉謙信と渡り合ったりしたんだ」Aが言った。

「戦国時代は、ずっと先の今の世界から見ると面白いけど、当時の人々は尽きない戦いに、身も心も疲れていなかったのかな?」Aに対して、Iが言った。

「もしかしたら、今の人よりは強い精神力を持っているのかもね」自分も答える。

「あるいは、そういう環境に生まれたから、適応していったとか?」自分の言葉を受けて、Uが言う。

「歴史としては、戦国時代は面白いけど、その時代に生まれなくて良かったよ」

 Aはそう言いながら、再び携帯を確認した。

 そんなことを話しながら、自分たちは登ってきた階段を下りていった。

 外に出ると、入るときよりも少し寒くなっていた。再び石垣の高さの長い階段を下りる。

 ふと、こういう階段を下りるのは全然問題ないのになと思った。

 駆け下りても膝は痛くならない。実際、自分の家は5階にあり、自分はほとんどエレベーターを使わない。階段を駆け下りることは日常だ。そう考えると、やはり山は手ごわい!

 次に、SAMURAI館へと行く。天守閣のチケットと一緒に、こちらのチケットも買ったのだ。

 ここは、たくさんの鎧などが展示されていた。

 更に奥は、映像が音楽と共に流れていた。その映像は、最後は鎧を着た侍同士が戦って、木に変っていった。

「なんか、木になっちゃったよ」Iが言った。

「ほんと、ほんと」Uも言った。

 生き物は、死んで土に還るということの例えなのか? と自分は勝手に思った。

「なんか、『SHOUGUN将軍』を思い出す」Aが言った。

 この4人で一緒に観たものだ。確か12話だったが、面白くてどんどん観てしまった。続きも早く出ればいいとさえ思っている。

「北条氏と家康は、同盟を結んだこともあったけど、結局は秀吉が攻めたときに敵対しているみたいだよね。この小田原は、そのあと家康に与えられたみたいだし」

 自分は、さっき読んだものに書いてあったことの一部を短くして言った。

「まさに『SHOUGUN将軍』の少し前の話だ」Iが少し楽しそうにそう言った。

 『SHOUGUN将軍』のことでも思い出しているのだろう。

 やはり、強い精神が無ければ、とても戦国時代などわたっていけないだろうと思う。その強さは、今の時代の強さとは類も違う気すらする。

 精神的に強くなりたくて、前に武道を少しやった。それで、どこまで強くなれたかなんて、分からない。

 それよりは、日々のことから逃げずに、向き合って進んでいくことが、強さに繋がっていくような気が今はしている。

 しかし、自分は、最近知り合ったNさんに対して、結構まずった気がしている。

 直接ではなく、SNSを通じてのやりとりだったけど、心に思いついたままの言葉を、そのまま言ってしまった。いや、もちろん全部ではないけど、何だかおかしな感覚になっていた。しかも、その感覚が抜けたわけでもない。

 Nさんは優しく、良い人で、大人な対応だった。それに対し、自分は子どもか!! と言った感じだった気がする。

 Nさんとだと、ああなってしまうのかもしれない? それとも、実際に顔を合わせたことが少ししかないのに、SNSでやり取りをしたからか?

 でも、楽しくて……だけど、やめた。いい人のNさんは、返事を何かしら返してくれるから、負担になっているような気がした。ほんのつかの間の幸せだった。

 Nさんとは、今後もしかしたら、自分がやろうと思っていることで、関わるかもしれない。それなのに、面倒くさいやつとどこかで思われても嫌だし、負担もかけてはいけないと思ったからだ。

 もしかしたら、自分からの連絡が来なくなって、Nさんはほっと安心しているかもしれない。

 自分も大人なはずなのだが。いや、普段周りとは大人な対応ができていると思うのだが。まあ、大人な対応とは? と問えばそれまでなのだが………。

 空気を読んで、相手に迷惑をかけず、その場の輪もみださず、感情的にならないとか?

 行動的であったり、勢いがあったり、などの自分はずっと顔を出していなかった。少なくとも人に対しては。それが、Nさんに対しては、少し崩れた。

 とりあえず、Nさんに対しては、ブレーキをかけられて良かった。負担をかけずに済んだ。

 武士は、戦いの中で勢いがなくてはならなかっただろう。戦い以外のとき、人に対してはどうだったのだろう?

 どうしたって、武士と同じようになることはないけど、もう少し精神の強さを意識していこうかと思った。

 そんなことを考えて歩いていたら、報徳二宮神社の横だった。小田原城址公園内にある神社だ。

「ここにも神社があるね」Aが言った。

「もう、夕方近くだから行かないでおこう」自分が言う。

「ああ、昼間の方がいいってやつ」自分の言葉を受けてIが言った。

「やっぱり夜に近づくとね」Uは理解をしているみたいだ。

「ほら、丑の刻参りとかも夜にやるじゃん。夜は神社の顔が変わるから、そういうものもあるんだよ」

「ああ、何となく分かったかも」自分の言葉に、Iが納得したみたいだった。

 人の様々な思いは、ものすごさがある気がする。でも、負の要素があるものは、残らないできれいになっていければいい。戦国時代の大変だった人たちの思いも、現代の苦しみも、この開けた広い空の中に解放されて、楽になればいい。

小説風はここまでです。

小田原城は、500年以上の歴史があります。大森氏が築城したと伝えられています。

大森氏は、関東の有力な武士で、小田原周辺を支配していました。

しかし、北条早雲に戦国時代に倒され、小田原城は北条に奪取されました。

その後、北条氏は5世代にわたり小田原城に君臨します。

小田原城は、周囲を取り囲む広大な外郭があります。これは、城全体が要塞となり、敵の侵入を防ぐ防御となったわけです。

3代目の北条氏康のときは、北条氏は最盛期でした。このときに、武田信玄や上杉謙信とも渡り合っています。

北条氏は、武田信玄や上杉謙信とも渡り合い、この城を守ってきましたが、5代目の北条氏直のときに豊臣秀吉によって破れます。

その後、徳川家康の家臣である大久保氏の支配下に、小田原城はなりました。

しかし、明治3年に廃藩置県とともに廃城となり、多くの建物が取り壊されました。

現在ある建物は、昭和時代以降に再建されたものとなります。

小田原城址公園自体は、広々としていて、のんびりした気持ちにもなれるところでした。

天守閣からの上からの景色は見ごたえもありました。

天守閣は4階までですが、入口までの石垣のところの階段も登っていくので、体力に自信がない人は、少し大変かもしれません。でも、ゆっくり見て行けば問題ないかと思います。

ちなみに、石垣からの高さは27m以上もあり、全国で第7位の高さらしいです。

実は、自分は、お城関係を大人になって訪れたのは、初めてでした。

中は展示物が多く、そのお城の説明などがたくさんありました。

当時のお城の様子を中で再現していると勝手に思っていたので、少し予想外でしたが、とても見ごたえはありました。

 【公式】小田原城 難攻不落の城

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