シングルファザーになってみて

小説

 妻と別れた。妻は、2人の子どもの面倒をみなくなっていた。育児ノイローゼなのかもしれないと、心療内科を受診させたし、自分も仕事がないときは家に必ずいて、子どもたちの世話や家事を頑張ったつもりだ。

 そもそも、子どもが生まれてからは、僕は家事をかなり積極的にやっていた。休みの日の食事は僕が作っていたし、片付けもしていた。毎朝洗濯物を干していたし、夕ご飯の片付けも僕がいつもしていた。

 そんな中、子どもたちを放っておいて、自分の好きなものを買いに出る妻と何度も喧嘩をした。それだけではない。妻はブランド物の服やカバンのために、多額の借金をしていたことが発覚した。

 その頃は、子どもたちは僕の母が見ていた。だけど、僕の母は年をとっていたし、持病もある。僕は遅くにできた子どもだったこともあり、母は高齢なのだ。僕の実家は離れたところにある。通うのは無理だった。父は地元を離れることを嫌った。家事ができない父を1人家にずっと残しておくわけにもいかなかった。そんな中、僕の母は倒れてしまった。幸いすぐに退院はできたけど。

 妻の借金が発覚してから、僕はその半分を返済し、妻とは別れた。僕の貯金は半分に減ったが、子どもたちの教育資金は別に貯金してあるから大丈夫だ。

 

 1度倒れてしまった母を頼ることはできなかった。だから、自分でなんとかしていくしかなかった。僕は、子どもたちをとても大切に思っている。だけど、現実はかなり厳しかった。

 幸い、保育園には2人とも同じところに入れた。家からも遠くない。しかし、僕は残業をすることができなくなった。

 初めの頃は、周りも大変だと言ってくれて、優しい雰囲気だったが、そんなものはあっという間に消えた。残業だけでなく、子どもが体調を崩したりして、仕事を途中で抜け出したりするせいもあった。

「パパ、おしっこいきたい」

 まだ、おむつが完全に離れていない下の子だが、トイレのときに教えてくれる。

「分かったよ。一緒におトイレに行こうね」

 仕事が終わって家に帰り、夕食を作っている最中だった。休んだりしているせいもあり、仕事が溜まっていて、持ち帰っている仕事もある。リモートで週のうちに何日かは仕事をさせてもらえる。でも、子どもが体調を崩して家にいる場合は、仕事なんて全然進まない。

「どう、ちゃんとできた?」

「うん。大丈夫」

 トイレの扉は全開にして、子どもが用を足すのを待つ。

「じゃあ、手を洗おうね」

 僕は、子どもに手を洗わせる。夕食を早く作って、子どもたちを早く寝かせるところまで持っていきたい。そうでないと、溜まっている仕事ができない。

 子どもたちは大切だ。でも、大変であることも身に染みてきていた。

 やっと子どもたちが寝むって、僕は仕事を始める。願わくば、起きてきませんようにと心の中で思わずにはいられない。

 この前のゴールデンウイークは、やっとゆっくりできるかと思った。だけど、一番下の子がノロウイルスにかかり、次に上の子、最後の僕と全滅した。少しはゆっくりできるはずの長めの休みが、子どもの看病と、トイレから離れることもできないくらい嘔吐しまくっていたことで終わった。

 日付が変わったあたりで、僕は自分も眠りにつくことにした。1人で眠ることは許されない。子どもたちの寝相に苦しめられながら眠ることになるのだ。

 2人の子どもたちの間に横になってみると、上の子の方側の布団が濡れていた。

 ああ—————まただ—————。

 妻が出ていってから、上の子はよくおねしょをするようになった。防水シーツを最近はしいているけど、子どもたちの寝相でいつの間にか外れていたりする。その外れている部分に、まるでわざとやっているかのようにおねしょをする上の子―――――これでいったい何回目だろうか? 因みに、下の子は寝るときは紙パンツをつけているので問題はなかった。

 上の子もおむつを寝るときにつけさせたいのだが、保育園の先生に反対された。

「ほら、起きて。パジャマも濡れているから着替えないとね」

 僕は、上の子をできる限り優しい声で起こす。上の子は目を開けたが、そのまま座って泣き出した。

「ごめんなさい」

 謝りながら泣いている。本当は泣きたいのはこっちの方だ。

「仕方がないよ。大丈夫だから着替えよう」

 この前おねしょをしたときに、僕はつい大き目の声を出してしまった。イライラを隠せずに、子どもにあたった。そのせいで、上の子は泣いているのかもしれない。自分のせいだと思うが、泣いてばかりいて着替えをさせてくれない上の子に、また苛立ちを感じてしまった。

 それでも、どうにか着替えをさせて、シーツとかも変えて僕は横になった。あまり睡眠がとれない。明日は仕事にいかなくてはならない…………。

 

 月に2度、土曜日から日曜日にかけて泊りで子どもたちは元妻の元へ行くことになっている。初めは大丈夫かと懸念をしたが、子どもたちが母親である元妻の元へ行きたがったから反対することができなかった。

 元妻は、今は別の男と暮らしている。それも懸念のうちの1つだが、幸い優しくしてもらっているらしい。優しくしてくれるのはいいが、僕としては複雑でもあった。

だけど、子どもたちがいないとき、僕は羽を伸ばすこともできた。友だちと飲みにいったりも気兼ねなくできる。

 それでも、気持ちは晴れない。全く晴れない。この先への不安ばかりが、自分の中で存在感を示してくる。もう少し控えめになってくれればいいくらいに思ってしまう。

 最初は、子育ての相談だった。SNSで僕はいろんなことを相談するようになった。そんな中、ご主人とのことで悩んでいる女性の悩みを、逆に相談を受けたりもした。そして、その女性と実際に会った。

 その女性の家は僕の家から離れていたから、僕が出向く形になった。写真を見ていたわけでもなかったから、会った瞬間は思い描いていたのと違った。それでも、直に彼女の寂しさや苦しみを聞くと、同情心なのか庇護欲なのか分からないけど、そういうものは湧いてきた。

 2人きりの車の中、涙を流す彼女の肩に手を置いた。彼女は僕を見上げてきたかと思うと、僕に寄りかかってきた。僕は彼女を抱きしめる。彼女は僕の背中に腕を回してきた。

 自然の流れで、僕は彼女の唇に自分の唇を重ねる。彼女の唇はしっとりしていて柔らかい。どちらからというものでもなく、すぐにそれは深いものへと入り込んでいった。

 携帯の着信音が鳴った。彼女の携帯だ。ご主人からの電話で彼女は帰らざるを得なかった。

 明日には、子どもたちも帰ってくる。僕は、その晩は予約をしていたホテルに1人で泊まって、翌日に帰宅をした。

 何故だろう? もう彼女に会いたいとまるで思わない………。

 帰宅途中から、いや、ホテルで1人になったあたりからか? 僕の中には変化があった。それまでは、彼女に会いたい気持ちが強くなっていて、わざわざ遠くの彼女の元へと行ったし、彼女とキスまでしたというのに、気持ちが覚めてしまった。

 酷いとは自覚しながらも、僕はその後、彼女からきた連絡の返事を全く出さなかった。考えてみれば、彼女は既婚者なのだから、これ以上深入りしないほうがいいに決まっていた。

 その後、僕はSNSで知り合った別の女性とのやりとりに夢中になり始めた。彼女とも離れた場所に暮らしていた。僕の子どもたちの話に興味を示してくれるし、優しい人なのだと感じた。そして、彼女とも実際に会ってみる。

 1人目と同じ様にキスまではしたが、何故かキスをしてみて覚めてしまった。彼女の口が臭かったとか言う訳ではない。顔は好みのタイプではないけれど、僕は好きになれれば相手がよく見えるはずだから………でも、そうもならなかった。

それ以降、SNSで関りを持ったとしても、実際に会うことは誰とも一切しなくなった。

 僕は、仕事を続けたかったけど、周りにかなりの迷惑をかけていた。そして、僕は仕事を辞めて、職業訓練を受けることになった。

 随分久しぶりの学校みたいなところは、皆が同じ目的の為に話も合って、たった3ヵ月だけだが楽しかった。そこで知り合った女性と僕は2人で飲みにいく。もちろん、子どもたちが元妻のところへ行っているときにだ。

 彼女は、SNSで知り合ったどの相手よりも、好みの外見をしていた。その分、胸が高鳴った。彼女も明らかに僕に好意的だった。

 少し暗めの雰囲気のいいBARで、彼女と2人でお酒を飲む。彼女は甘い系のカクテルを注文していた。

「あれ? 何だか吸えない?」

 彼女はカクテルについてきたストローで、吸えないと言った。

「あ、それストローじゃなくてマドラーだよ」

「えっ⁉ 嘘!」

 彼女は恥ずかしそうに顔を伏せた。その様子で演技とかでもないと分かる。そんな様子に胸がキュンとした。

 だけど、彼女ともキス止まりになった。それ以上進みたいと思えなかった。

 既に、職業訓練は終わっていた。そっけない僕の返信に、彼女からの連絡もすぐになくなった。

 新しい仕事は、常勤では働かなかった。その代わり、在宅でできる仕事も合わせてしている。前の仕事のときよりも収入は減ったけれど、贅沢をしなければやっていける範囲ではあった。

 子どもたちは、徐々に母親がいない生活にも慣れていったが、本当は月に2度会うはずの母親は(元妻がそれを要求したはずなのに)、何かの理由をつけて、子どもたちに会う回数をどんどん減らしていった。

 当然、僕が自由に1人で過ごせる時間も奪われた。でも、最近はそれでもいいと思える様になってきていた。

 家での仕事や夕食の片づけを終わらせて、子どもたちが寝ている部屋に入る。保育士には反対されたけど、今では上の子も寝るときは紙パンツをはいている。そこに夜全くしなくなったらやめようねと話してある。

 穏やかな子どもたちの寝顔を見ていると、心からホッとする自分がいた。それは、子どもたちが問題を起こしていないからではなくて、子どもたちがいる場所が自分の居場所で、そこが1番好きだと思えてきたからだ。3人になってしまった家族だけど、子どもたちの成長は早い。だから、一緒にいる時間を大切にしたいと今は心から思える。

「本当に可愛い寝顔をしている。パパは頑張るからね」

 眠っている我が子が起きないように、小さめの声でそう言う。

 ああ、そうか………今の自分は、誰のこともきっと、本気で好きになれないんだな。ただ寂しくて不安だっただけだ。

 僕は、急に自分のことをそう思った。そのせいで傷つけた相手もいた。だから、当分の間は子どもたちだけに集中して、女性と異性としての関りはしないように注意しよう。

 胸が切なくなるくらいに、子どもたちは可愛かった。独りでやっていくことの寂しさも不安も解消されたわけじゃない。でも、この小さな可愛い温もりを、とにかく抱きしめていこう。

 僕は、新たにそう決意をしたのだった。

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