記憶の彼方へ 3

小説

続き物の最後です

 気がつくと、私は自分の部屋のベッドに横になっていた。そして、私の腕を掴んできた男の人が何故かベッド際にいて座っている。

 普通なら、知り合いですらない男の人が自分の部屋にいきなりいたら、恐怖に包まれるだろう。でも私の中に恐怖は湧いてこない。ただ、聡太さんの顔が浮かんできて苦しくなる。

「いきなりで驚かせて本当に申し訳なかった。でも、どうしても会って話がしたかったから」

 低いいい声でその男の人はそう言った。私の脳裏には何かが浮かんできそうになった。でも、それは聡太さんと付き合うようになってから感じていた不安だったから————私はそれが浮かび上がってくるのを阻止した。

「ずっと、会えることを待っていたんだ。それで、やっと会えた」

 彼は、長い時を独りで過ごしてきたそうだ。周りの人はどんどん死んでいく。でも、彼は死ぬことができない。彼が死ぬことができるのは、彼が心から愛する人を見つけられたときだけ。その相手がどこの誰かも分からない。でも、会った瞬間に分かるという。

 長い時間、ずっと彼は孤独と戦いながら、その相手に巡り合えるのをひたすら待っていたという。その相手に受け入れてもらって結ばれると、彼の止まっていた時間はようやく動き出す。死というものに向けて。

「これは、俺の血筋に時々現れるもので、俺は子孫を残して初めて解放される。だけど、俺の子孫を残すことができるのも、たった1人だけなんだ。俺は、一生の間で、たった1人しか好きになることもできない」

 何度か自殺を試みたこともあるそうだ。それは聞くには堪えがたいものだったけど、独りで生きてきた彼の孤独と苦しみが伝わってきた。

 そして、私はこんな話を疑いの感覚が一切起こらずに信じている。

「私は、今大好きな人がいるの。今の私は、その人以外の人を受け入れることはできない」

「知っているよ。でも、どうしても話をしてみたかった。俺のことを知ってもらいたかった。君みたいな人は、きっと苦しむだろうと分かっていたから、俺はひどい奴だよね」

 私は首を横に振った。だって、私が彼だとしても、きっと相手に自分の存在を知ってもらいたくなるはずだから。

「少しだけでも俺の存在を知ってもらえて良かった。ありがとう。もう、行くよ」

 彼は、そう言うと立ち上がった。そして、数歩歩いたかと思うと再び私の方を見た。

「俺の名前を言ってもいい?」

 私は静かに頷いた。

「俺は、(かい)()という名前なんだ。何か困ったことがあったら心の中で俺の名前を呼ぶだけで、俺には分かるから………俺ならきっと助けてあげられるから」

 きっと本当にそうなのだろう。長い年月独りで生き抜いた力がきっと彼にはある。そして、彼の命を終わらせてあげられるのは私だけ…………(?)

「あ、あの」

「何?」

 海途さんは、優しい顔で私を見た。

「私が駄目なら、あなたは………海途さんはどうなるの? また誰かが現れたりはしないのですか?」

 海途さんは寂しそうに微笑んでから口を開いた。

「君が生まれ変わるのを待つことになる。でも、生まれ変わった君に出会えるのかは分からない。この世界で、今度はいつ君を見つけられるのか分からないんだ」

 海途さんはそう言ってから、私の家から去って行った。いなくなると、何故だか急激に悲しさが込み上げてきた。でも、涙は出てこない。ただ、今まで経験したこともないような悲しさで、私の全部が何処かに沈められてしまった様だった。

「聡太さん………ごめんね」

 私はふいにそう消えてしまいそうな声で、そう呟いた。何でごめんなさいなのか分からない。でも、はっきりしていることは海途さんが嘘を言っていないということ。本当に何でか分からないけど、私には彼が真実を言っていると分かる。

 誰かと付き合うたびに、何かの不安が少しあった。それが何なのか分からなかった。そして、その相手も何かの不安を感じるらしかった。そう、聡太さんも………でも、その不安が何なのか今は分かる。分かってしまった。

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 急に嫌な予感がした。それが怖くて、俺は志乃の元へ向かった。まだ明日は仕事がある。頭の中では明日に何があったかを猛スピードで考えている。でも、偶然にもそこまで重要なことはなかった。会議は昨日あったし、期日が迫っているような仕事は今日終わらせきた。

 こんなこと今までしたことがなかった。本当に体調を崩したりしたら仕事を休むこともある。だけど、理由もつかない訳の分からない理由で仕事を休むなど—————そう、社会人としてはあってはならないだろう。そんな無責任な仕事を俺はしてきていない。

 そもそも、明日は志乃だって仕事があるはずだ。志乃だって仕事を簡単に休むような人間ではない。それなら、明日は志乃の仕事が終わるまで志乃の家で待っていたって構わない。

 俺は、自分で自分の行動に意味不明さを感じたけど、それでもじっとしていることが無理だった。しかも、明日は金曜日だから、別に明日の夜に志乃の元へ向かえばいい。本当なら志乃が俺のところに来る番だった。

 新幹線に飛び乗り、ただひたすら早く着くのを待つ。こうしていても、とてつもなく不安だった。今、志乃の元へ行かなければ何もかもが終わってしまうような、そんな気がしていた。

 本当に認めざるを得ない、志乃は今までの女たちと違う。俺にとってはいつの間にか特別な存在になっていたんだ。それなのに、どうして志乃がいなくなるような気がするのだろう?

 でも、志乃は家にいた。俺が新幹線から志乃に連絡を入れると、少ししてから驚いた返事が返ってきた。でも、志乃も俺に会いたいと言って、喜んでくれた。そして、自分も明日は問題がないから仕事を休むと——————でも、どうしてだろう? 志乃が俺に合わせて仕事を休んでくれるのは、すごく嬉しいはずなのにそれ以上に不安が渦巻くのは?

「志乃、何かあったのか?」

 志乃は、少しやつれた様に見えた。何か辛いことがあったみたいに思える。

「ううん、大丈夫。でも、聡太さんに会えて本当に嬉しい」

 志乃は、いつにもなく俺を求めてきた。

 決して大きくはないけど、志乃の胸は温かく柔らかい。胸から始まり、志乃の身体中にくまなく愛撫をしていく。

 志乃の顔をふっと見ると、志乃の目からは涙がこぼれ落ちていた。

「志乃…………痛かった?」

「ううん、痛くない。大丈夫だから、もっと私を愛して」

 そう、囁くように志乃は言った。俺は、それよりも少し激しさを加えて更に志乃を求める。そうして、その晩は何度も志乃を抱いた。

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 まさか、聡太さんが来てくれるなんて思ってもいなかった。ものすごく嬉しいのに、それ以上に苦しかった。私は抗うことができない。私が彼を受け入れないと、彼は皆が持っている死というものずっと得ることができない。

 死がいいことなのかどうかそんなこと分からない。今死にたいとも思わない。でも、周りの人がみんな死んでいって、自分だけがずっと残されるのは、想像するだけでも苦しくなる。いくら若いままであっても、私なら耐えることができない。でも、耐えるしかないだなんて…………私の選択でそれが変わるなんてなんて重いのだろうの?

 海途さんを受け入れてあげたい気持ちが出てきているのが自分で分かる。今でなく、聡太さんと付き合っていないときなら、何も問題なく受け入れたのに。

ごめんね。私から離れることがあるなんて思ってもみなかったのに。本当にごめんね。

聡太さんが私と一緒にいたいと思っていてくれる限りは、ずっと一緒にいたかった。例え遠距離でも、聡太さんに会える時が嬉しかった。本当にごめんなさい。

 私みたいな平凡な人間に、何でこんなことが起こるのか分からない。リアルからかけ離れているような出来事なのに、それを違和感なく受け入れられることが逆にリアルだと思ってしまった。

 それでも、聡太さん………きっと、ずっと大好き。ごめんなさい。私のことは忘れて。

 

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 俺は目が覚めた。でも、そこは知らない部屋だったし俺以外は誰もいないみたいだった。見た感じ女の部屋のように思えたけど、全然記憶がない。辺りを見回すと、俺の服や荷物があった。ふんわりと柔らかい懐かしいようないい香りがしていた。

 時間を見ると、とっくに出社している時間だった。俺は慌てて会社に電話をした。でも、休みの届けが出ているという。そんな届を出した記憶も全くない。

 俺は服を着て、この誰かも分からない女の家を出ることにした。もしかしたら、酔ったはずみで関係を持ったのかもしれない。それなら、厄介なことになる前に退散した方がいいというものだ。

 玄関で靴を履いて、ドアノブに手をかけると、耐えがたい胸の苦しみがした。頬に手をやると、俺が流していた涙が手についてきた。涙なんかずいぶん長いこと流していなかったのにだ。意味が分からないけど、何か大切なものを失ったような気がした。

 しばらくしゃがみこんでしまったし、この苦しみからは抜け出せそうな気がしないけど、とにかく俺は自分の家に帰ることにした。

 そうすることしか、今の俺にはできそうにもないから。

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