今日は、再び陣馬山です。
しかし前回とは違い、藤野駅から陣馬山へ向かうので、山頂へ向かう道も全く違うものとなります。
今は紅葉の季節なので、綺麗な写真もたくさん撮れることでしょう。
藤野駅を降り、左の方へ進むと踏切があります。
その踏切を渡るとすぐにトンネルが見えてきます。
左側に人が通るように色が塗ってある通路があり、そこを歩きながらトンネルを抜けます。
トンネルは、車が1台しか通れないくらいの幅です。でも、一方通行ではないので、トンネルの手前で対向車が通過するのを待つようです。
トンネルを抜けると、すぐに下り道になります。
バスで登山口まで行くこともできるのですが、本数があまりに少ないのと、歩くことが自分は苦ではないので、歩いて行きます。
途中、綺麗な景色がたくさんあります。今日は今のところ雲1つない青空で、その青さがどこまでも突き抜けているように感じられます。
アスファルトの下り道を歩きながら、今日も膝の痛みが襲ってくるだろうと、つい考えてしまいます。
『いっそうのこと、痛みが来るなら、かかってこい!』
というくらいの意気込みを持ちたいものですが、痛いのはやはり歓迎できません。
でも、少なくとも「まだ『負けるものか!』」そういきたいです。
ずっと駄目なら、諦めるというか、割り切ることも必要なのかもしれませんが、まだ諦めたくありません。
少なくとも、日常生活を送る上では何も問題もなく過ごせている。そのことをありがたいなと思っています。
普段の階段の上り下りも、多少の痛みを感じることがあっても、その痛みが続くこともありませんから。
膝を怪我されている方、膝が弱くなってしまった方、少しでも一緒に乗り越えていけたらなと思ってこの記事を書いています。
なので、この記事では、自分の中で浮かんでしまう弱音も、そのままに吐こうかと思っています。
でも、今は再び前を向いているつもりです。
皆さんもきっと弱気になることだってあるだろうから。弱気になっても、また一緒に前を向ける様になれたらなと思います。
秋の顔色になってきた景色を眺めながら歩いているうちに、登山口に到着しました。ここまでは20分から30分くらいで、平坦な道か下りの道でした。
すぐに分かれ道になっています。そこを左側へと向かいます。帰りは右側から帰ってくることになります。
陣馬山の名前の由来は、武田信玄や北条氏などが陣を構えたことに由来しているそうです。
山の地形が陣を張りやすく、軍事拠点として利用されていたと言われています。
江戸時代には、この地域は農村として発展し、参道は江戸と甲州を結ぶ交易路としても利用されていました。
昭和の初期頃から、登山やハイキングコースとして、人気が高まっていったと言われています。
さて、しばらくはアスファルトのなだらかな上り坂ですが、少しずつ急になっていきます。
周りは綺麗な紅葉やのどかな風景が広がっています。
しばらく歩くと、やっと土の道になりました。
木々の間から差し込んでくる光が、そのあたる部分によって、少しずつ色彩を変化させています。上の方の青い空の色との調和ぐあいがとても綺麗です。
歩道には落葉樹の落ち葉が敷き詰められていて、土の色とはまた違った、茶色のじゅうたんになっています。
少し離れた山の紅葉も青い空に包まれていて、その美しさが引き立っています。
電車の中は結構人がいて、藤野駅で降りたときもたくさん人がいました。でも、今は人があまりいなくて、自分1人だけの世界のようで、ただ、自然の美しさに見とれながら登っています。
紅葉は確かに美しいですが、紅葉でない部分もやはり美しいです。
細めの歩道は、何か物語を感じさせるように気がして、幼い頃のような不思議な感覚になります。
きっと、ほとんどの人は、山の景色を美しいと思うことでしょう。
この美しいと思える感覚は何なのか? どこから来ているのか?
私たちが、この自然を美しいと感じられるようにできていなかったら、状況はすごく違っていたと思います。
AIの発達により、考えてしまうことが増えました。AIは精巧なプログラミングによってできています。ですが、私たちもホルモンが分泌されて、様々な感情が生まれる様にできています。
例えば、AIにものすごい大量のパターンの感情や、様々な状況による感じ方をプログラミングしたらどうでしょう。
更に、学習機能により、感じ方なども、多種多様に変化をしていくことをプログラミングします。
それがまぎれもない感情だと認識すると、プログラミングする。もはや誰かにプログラミングされたのではなく、人間と同じか、それ以上に感情を持てる存在であると、認識していくプログラミングをする。
と、ここまで考えると、もはや人間の感情も何が違うのだろうか?と、思ってしまいました。
AIのプログラミングとは違っていたとしても、それと似た様に、そう感じる様に作られているに過ぎないということです。
感情や体の不具合やなんかが生じるのも、自然を美しいと感じられるのも、誰かに(何かに)そう設定されたものに過ぎないということです。
こんなことを考えても、それが仮に事実だと証明されても、それで何がいいのか分かりません。
何も考えず、自分自身が感じているのだと、思っていた方が幸せなのです。
何が本当なのか分かりませんが、とりあえず、今はよく晴れた山の景色を美しいと思える自分で良かったです。
膝の痛みも感じずに、陣馬山の頂上へ到着です。最後は長めの階段でした。でも、そこを登ると、富士山が綺麗に見えました。
でも、頂上についたので、このあとは山を下っていかなくてはいけないのです。
トレッキングポールをザックから取り出し、長さを調節します。
ふと、思ったのですが、今回はポールを少し短めにしてみました。
下りのトレッキングポールの持ち方は、上の部分を手の平で包み込むようにして持つといいです。
本当はポールに体重をかけることはあまりよくないのですが、いつもより体重もかけてしまおうかと考えての短めの調節です。
重心を低くし、膝を軽く曲げます。トレッキングポールを突きながら、下っていきます。
『お、調子がいいぞ』
と、最初は思えましたが、そうそう甘くはできていません。
徐々に膝の痛みを感じるようになってきました。
もしかしたら、下りは自分のどこかで怯えがあって、それで変に強張ってしまっているかもしれないと、途中で思いました。
今年の夏から、リハビリに通い始め、それなりの努力をしてきました。それよりも前から、筋トレなどの努力はしています。
でも、努力が必ずしも報われるわけではありません。努力の方向性や仕方を間違えてしまったり、やり過ぎてしまったり………報われないのは苦しいことです。
ふっと立ち止まって、遠くの方を見つめました。
本当に綺麗な景観が広がっています。少し泣きたいような気持にはなりますが、とりあえずその美しさに慰められて、再び下山を開始します。
途中で、重心が後ろの方にあって、それが痛みを増しているような気がしました。
『よし、それでは前へ前へだ!』
と思い、それまでよりもトレッキングポールに体重もかけて、重心を前にします。ポールが折れたら前のめりに転ぶような状況でした。
それでも、痛みをあまり感じなくなりました。期待に胸が膨らみます。
『前へ、前へ』
そう頭の中で呟きながら、体重も上体も前にもっていきます。
しかし、しばらくすると、やはり膝は痛み始めました。膝の持久力が不足しているのかもしれません。
そして、しばらくすると、ゆっくりしか進めなくなってきました。
そんな中、後ろから誰かの話し声が聞こえてきました。
『誰にも会いたくない。顔を合わせたくない。今、きっと情けない顔をしている』
そう思わずにはいられませんでした。
左側の歩道をそれた方へ行って、誰にも見つからないようにしたいと思いました。しばらくの間うずくまっていたいなと。
もしかしたら、自分の膝が痛まないようにはならないのかもしれない。もう、山登りは諦めた方がいいのかもしれない。
そんな考えが頭を過り、落ち込み度合いが増していきます。
でも、なんとか下山をしなければいけないので、再び歩き出しました。
途中、右側のところに、小さな祠がありました。近づいて行ってみます。
中にはいくらかの誰かが入れたお賽銭が入っていました。自分もそれにならって、お賽銭をいれて手を合わせました。特に何を願ったりしたわけではありません。
でも、少し気持ちを取り直すことができた気がして、再び歩きだします。
更にしばらく進むと、土の道からアスファルトに変わりました。初めは急でしたが、徐々になだらかになっていきました。あたりには人家もあり、富士山がすごく綺麗に見えました。
アスファルトを歩き出すと、膝の痛みは徐々に和らいでいきます。坂道がなだらかになったせいかもしれませんが、自分としては複雑でした。
さらに進むと、車も通れるような広さのアスファルトの道になりました。実際に車も通っていました。
もう少しで登山道というところで、右側のアスファルトに沿った場所に、色もほとんどついていない鳥居がありました。
もう、ずいぶん手入れもされていないと思われる鳥居でした。辺りを見回すと、鳥居の奥の少し高い場所に祠があります。
「産土神………」
そう、言葉が口をついて出ました。すると、フワッと風が吹き、その風にのって、鳥居の奥の方から落ち葉がフワフワと落ちてきました。正解と言われたか、もしくは存在をアピールしてきたかのようにです。
上の方の祠にお参りをしようかどうか迷っていました。下るときに膝が痛むだろと思ったからです。でも、いかない訳にはいかないと思って、鳥居をくぐり、登っていきました。
壊れかけた小さな祠には、誰かが入れたお賽銭がありました。自分もやはりそれに倣って、お賽銭を入れました。
『この祠が手入れされて、皆が気がつきますように』
こんな感じのことを願いました。
正直、老朴化した祠は少し怖かったです。綺麗だったときもきっとあって、そうだったときから今までの時間が怖さを与えたのかもしれません。
産土神とは、土地神様の事を指します。その土地と、土地で生まれた人たちを守ると言われています。
また、氏神と産土神はどちらも神社に祭られる神様ですが、違いがあります。
氏神: 血縁的な関係にある一族の先祖神など
産土神:その土地神様
しかし、現在は混同されていることが多いそうです。
ずっと前に、かなりきつい時がありました。冬の日のことで、自宅で座っていたときのことです。自分の右の方の、少し離れた場所には、大きな窓がありました。外は雨が降っていて、自分は窓には右側を向けていました。
誰もいない食堂のテーブルの上に顔を伏せていたら、右側の頬のあたりに温かさを感じ、顔をあげました。すると、雨の中から日差しが差し込んできていました。
そんなことで何だか少し救われた気がして、感謝の気持ちが湧いてくると、その日差しはスーッと消えていき、昼間ですが、外は薄暗くただ雨が降っていました。
たんなる偶然です。でも、何かの力を信じてみたくなるようないい偶然でした。まるで、慰められたように錯覚してしまうくらいには。
何が本当で、何が偽りかなのかは分かりません。でも、自分でそれも決めていっていいのかなと思います。答えや意味なんて、簡単には見いだせないけれど、自分の中で見つけ出せたらそれが1番だなと思います。
今回、結局膝が痛くなって落ち込みましたが、少しの不思議体験もできました。それが単なる偶然の産物であっても、ふわりとした風が吹いた気がしたからです。
きついことがあっても、周りを見渡したら、少し元気になれるようなことを見つけられるのかもしれませんね。
さて、陣馬山ですが、一応頂上までのルートは4つあります。
- 陣馬高原下からのコース。2時間半くらいです。
- 和田峠からのコース。和田峠からは速いと30分ほどで登れます。
- 一ノ尾尾根コース。登山口からは2時間20分くらいです。今回上ったコースがこれにあたり、静かな良い道でした。
- 栃谷尾根コース。今回下山をしたコースになります。
時間は、どれも山頂までの時間となります。
自分は、藤野駅から出発して、5時間51分かけて藤野駅に戻ってきました。
次回は、鎌倉のハイキングコースにでも行こうかと考えています。