これは、「月が濁す海の闇」というファンタジーものの小説の主人公の親の話になります。
また、かなりの長編になるかと思います。1週間に1度以上のペースで投稿していくつもりです。
合間で他のものも投稿していくので、番号をつけていきます。
プロローグ
「ハッ、ハッ、ハァ、ハッ、ハァ、ハァ、ハッ、ほ、ほし……い」
本当に………なんて強烈なの? ほしくてほしくてたまらない………今、全部与えられるなら、きっと最高の至福に包まれるのかもしれない。他と絶対に比べることのできない、最高の快楽を得られる…………それでも、私はできない。絶対にできない。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハッ、ハッ、ハッ————ほ……しい————」
とにかく………今このトイレには誰もいないみたいだし、少し落ち着くまで待とう。きっと大丈夫。私は誰よりも自制心が強い。皆が耐えられないような飢えや渇きにも造作もなく耐えてきた。むしろ、こんなことも耐えられないのかと呆れてさえいた。
本当に簡単なこと、自分の中の欲求を自分の中の感覚から外してみてしまえばいいのだから。でも、ロイザーでさえもそれができないものが多い。ただ、私にも悪いところはある。その感覚を他の者に教えたり伝えたりがうまくできないことだ。だから、もしかしたら、私の能力なのかもしれないな。
ロイト王よ、私はそれでも完全に失格だ。だが、今の私は悠真以外はいらない。今の欲求という苦痛に耐え続ける地獄を味わえば許されるというなら、喜んでそれを受け入れよう。
ロイト王、あなたとの意識は、つなげることができない。私は、全身全霊で、例えどんなことがあっても悠真を守ると決めたから。
「た、食べ……たい。食べたい。でも、い……や。絶対に嫌」
この渇きは強すぎる。これこそがロゾグに与えられた地獄だろう。でも、どんなことがあっても、悠真を食べたくない。この世界で唯一の私の心だから。
好きになればなるほど、大切な存在になればなるほど、愛すれば愛するほど、悠真への食欲は湧いていく。でも、絶対に私自身からもあなたを守ってみせる。だから、私がロゾグだと気がつかないで。ずっとそばにいて。私の望みはそれだけだから。
知っている、他の人間を食べれば、少しは悠真に対する食欲も落ちる。もちろん一時的なものだけど…………でも、悠真の同族である人間を食べることはできない。
今だって、私がロゾグだと知られる危険に私は怯えているのに、人間まで食べてしまったら……………悠真と一緒にいることが不安になる。
そう、私はどこかで期待している。悠真なら、悠真なら私がロゾグだと知っても、私が人間を食べてさえいなければ離れていかないって。
もし私が悠真を食べるなら、悠真が私から離れていくときだろう。私の糧とし、肉と血にしてやる。他の誰にも渡さない…………いや、やっぱりできないかもしれない。悠真には笑っていてほしい。幸せな顔をしていてほしい。
1
私は、人間世界へ足を踏み入れた。今回は初めてではない。試験的に数年前に一度監視つきで足を踏み入れたことがある。二週間という短い時間だった。だが、そこから学ぶものは多かった。
あのシャウラでさえ、沢山の人間を前にして食欲という欲望や渇きを抑えることに戸惑っていた。最も、一日も経つとシャウラは問題ないようだったが。
だけど、私は最初から何も感じなかった。もちろん、目の前の人間を食事としていいと言われたなら、直ぐにそうしただろう。
ティモアには人間が今は基本的にいない。数少なかった人間はすべて食べつくされてしまった。ロイザーがきちんと管理していたのに、人間が爆撃でティモアにいる人間が自由に外へ飛び出せるようにしてしまった。
人間世界の人間は、正直、知恵が働く。文明というものを発展させて、様々なものを作り出していた。だが、ティモアにいた人間たちは違う。簡単にロゾグが入ることも、人間が出ていくこともできなかったのに、行き来ができるようになってしまえば、知能が低いグザーやゾイはもちろん、ロイザーだって人間狩りをするのは必然だったのだろう。
結界とでも呼べばいいだろうか? 壁にそれらを入れ込んで先人の力のあるロイザーがティモアの人間を囲っていたというのに。それは、無駄になってしまった。
囲っていたときは、人間の数は一定数保たれていた。その範囲で我々の食卓に人間は並べることができていたのだ。
今は、人間は人間世界から狩ってくるしかない。もちろん、私もそれの補助的なことも行う。ただ、私の主な使命は人間世界を探ることだ。ティモアから割と近い、この日本という国に潜入をして、できたらロゾグの研究所関係の人間に近づく。それが私に与えられた使命だった。
私たちロイザーと人間では美的感覚が違う。だが、ロイザーの姿形を人間は美しいと思う。そして、それは人間世界で過ごしていると実感を伴った。
「見て、あの人すごい綺麗な人」
私とすれ違ったあとに、こんな言葉を聞くことはよくあった。
「いい女。モデルか芸能人みてー」
「いや、芸能人でもあそこまでいい女いるか? でも、何だか声かけづらいな。美人過ぎるのかも」
「さっきすれ違ったときの香り、すげー良かったな。ヤバかった。あの髪に触ってみてー」
などなど、小声で囁いているつもりだろうが、私の耳にははっきりと聞こえてくる。そもそも、人間の聴覚とは比べ物にならないくらい我々ロゾグの聴覚は優れているのだから当然だ。
だが、これは悪い気はしなかった。人間は美しいと思ったものに男女ともに嫉妬心も抱くが、同時に憧れも抱きやすい。さらに、男にいたっては、こちらの要求にこたえてくれやすくなるはずだ。私が近づこうとして目をつけているロゾグの研究所関係の人間は数人いた。まだ調べている最中だが、私とすれ違ったときにどの奴も振り返って私の後ろ姿を目で追っていた。これは利用しない手はない。
今日は、これから最後のターゲットの1人とすれ違うことになっている。まず、そこで印象を少しだけつける。そのあと、少しずつ近づいていく。ただ、向こうが勝手にこちらに恋心を抱いたり、性的欲望を持つのは勝手だが、私はそれに答えることは決してない。
そもそも、食料に対してそんな感情を抱くバカはいるはずもないし、性的には関わった方が情報がききやすいかもしれないが、危険が伴う。
ロゾグ同士名ならもちろん問題はないが、人間相手で性行為をすると興奮状態になり食欲が増す。それを抑えることができたロゾグの話を私は聞いたことがない。それができた一人目になればいいかもしれないが、そういう危険を冒したい訳ではない。
そもそも、私はこの21歳まで、ロゾグともそういった経験をしてこなかった。訓練に明け暮れていたからだ。恋だのなんだのにうつつを浮かす余裕などなかった。
だから、せいぜい口づけどまりくらいだろう。だが、食料と口づけをするのも変な話だ。唇と唇を合わせるなら、そのまま口を大きく開いて食らいついた方が楽だ。
ターゲットの男は、まだ研究所には所属していない。だが、将来を有望視されている。私は今大学に潜入している。この大学は研究所に入る者が多い場所だ。もしかしたら、一番探りやすいかもと思い、ここの大学に潜入をし、授業すらも受けている。
そして、ターゲットが向こうからやってきた。ここは桜の木が左右に植わっている通りだが、今は桜の花もほとんど散っていて、葉ばかりになっている。
彼は、歩きながら本を読んでいる。すれ違う瞬間に彼の方側から強めの風が吹いてきた。それは、残っていた桜の花びらたちを木々からさらっていくのには十分なもので、彼が読んでいる本の上と、私自身にも何枚か花びらが落ちてきた。
彼は顔を上げた。
「すごい風でしたね」
初めて声を聞いた。耳障りのいい声だった。何故だか安心するような気持にさせられた。
「あ、はい」
「頭に花びらがついていますよ」
「そうですか?」
私は、彼の声につい気をとられていた。そもそも花びらなどあとでどうとでもなる。
「良かったら取りますけど」
これは、近づくにはいいことだ。
「じゃあ、お願いしてもいいですか?」
彼はにこやかな顔をして軽く頷くと、私の頭の花びらを取った。
彼とすれ違うときに少しずつ近づいてきたときから感じていたけど、何故この男は不思議な匂いがするのだろう。食欲が湧かないわけではない。でも、何故だか安心するような気がする……………私はおかしくなったのか? あるいは、人間側がこの男に何かしていて、私を罠にはめようとしている? でも、その可能性は低いはず。私の存在が人間に伝わっていることはないはずだ。
「はい、とれました。三枚もついていましたよ。これ、どうしますか?」
「あ、ありがとうございました。それは、捨ててしまってください」
「わかりました。では」
彼は、軽く頭を下げるとそのまままた本を開いて行ってしまった。私もほとんど同時に彼に背を向けて歩き出す。
でも、おかしい。彼は振り向かない。言葉すらも交わしたのに、私の後ろ姿を見もしない。好みが私とかけ離れているのか、もしくは同性が好きなのか?
どちらにせよ、それなら失敗だ。あの男が最も近づきやすいかと思ったが、違ったみたいだ。他のターゲットへの接近を強化しよう。その方が合理的だろう。
